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- 2001年(平成13年)の松下通信
- ■海外での移動体開発体制の強化
- 移動体開発部門は、海外にも積極的に設置した。平成10年のアメリカ松下通信移動体開発の設立に続き、平成13年2月に松下電器と連携して中国北京に先端移動通信研究所を新設、さらに同年4月には、イギリス松下通信の開発部門を独立させてヨーロッパ松下通信移動体開発を設立した。平成14年4月には、中国上海にNEC、華為との合弁でW-CDMA基地局技術の開発会社を設立した。
- ■欧州携帯電話事業の再編
- 欧州での携帯電話市場の激変に対応するため、事業を再編集約する目的で、平成13年3月、チェコ松下通信を設立してイギリス松下通信のポーツマス工場を閉鎖。さらに12月には同サッチャム工場を閉鎖、翌年3月にイギリス松下通信を解散した。
- ■グローバル1兆円を達成
- 松田社長の「10年構想」での長期目標、川田社長の「発展2000年計画」の中期目標である1兆円販売を、平成13年3月の連結決算で達成した。連結売上高は1兆601億円、連結利益は338億円の好業績となった。
- ■桂新社長の就任
- 平成13年6月の株主総会において、川田社長が退任し、一貫して携帯電話事業を牽引してきた専務取締役桂靖雄が新社長に就任した。新社長は、「市場絶対主義で世界に通用する会社を目指す。」と決意、川田前社長は松下電器副社長に就任した。
- ■桂体制の役員陣容
- 継続役員は、専務取締役の横山俊男、倉本實、丹下正彦、常務取締役の谷村忠昭、錦戸忠彦、桂照男、取締役の増田浩美、脇治、今津敏行。新任役員は、常務取締役の山高靖男、取締役の本間光一、柳田政昭、橋本充男。経営企画部長村田栄一郎は川田副社長の就任に伴い松下電器に異動、新経営企画部長には伊藤雄二が就任した。桂・伊藤ラインで松下通信は最終コーナーに向かうことになる。
- ■カンパニー制の導入
- 平成13年6月、桂社長の就任と同時に4カンパニー制を導入。8事業部を再編・集約し、モバイルコミュニケーションカンパニー、カーマルチメディアカンパニー、AV&セキュリティカンパニー、システムソリューションカンパニーを新設した。翌年4月には3カンパニー制に変更した。
- ■携帯電話プラットフォーム開発の強化
- 携帯電話P503iの品質問題が発生し社内外に衝撃が走った。抜本的な対策として、平成13年6月、松下グループの技術リソースを結集したモバイルマルチメディアプラットフォーム(mmPF)開発センターが発足した。翌年さらに再編を進めmmPFを発展的に解消してモバイルソフトウェアソリューションセンター(MSSC)を新設した。
- ■NECとW-CDMA端末で提携
- W-CDMA端末の開発スピードアップアップと開発リソースの有効活用を目的として、平成13年8月、松下電器、NECと3G携帯電話端末分野の共同開発に合意。技術の標準化、要素技術、ソフト開発等、広範な提携が進められることになった。
- ■W-CDMA端末を初出荷
- 平成13年10月、NTTドコモによる世界初の3G商用サービス開始された。基地局装置の納入に続き、松下通信とNECの2社のみがスタート時の端末供給に成功し、W-CDMA方式によるテレビ電話機能を有した第3世代携帯電話「FOMA」の発売が始まった。
- ■佐江戸新研究棟の竣工
- 平成13年11月、重点事業の研究開発体制強化を目指し、技術本部の新拠点として佐江戸南地区に新研究棟を建設。延床面積が2万7千平方メートル、地上7階の佐江戸地区最大の新棟で、氷蓄熱空調を採用する等、環境、省電力も配慮した。新棟の完成で技術本部は佐江戸北地区から南地区に移転した。この新棟には後の再編時にモバイル事業部門が綱島から移ることになる。
- 2001年(平成13年)の納入製品・販売製品
- ・米国AT&Tワイヤレス社向けTDMA携帯電話を発売
- ・新型iモード携帯電話「ムーバP503i」の発売開始
- ・世界初のDVDオーディオをトヨタ自動車に純正納入
- ・デジタルペア線マンションシステムを発売
- ・世界初の第3世代移動体通信サービス「FOMA」対応機種をNTTドコモに納入
桂社長とNEC西垣社長、松下電器中村社長
世界初のW-CDMA携帯電話を開発
佐江戸地区に新研究棟竣工
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■目次
第1部:未来つくりの日々
1958年:松下通信工業誕生、発足記念式での話、引き継いだ事業、発足時の概要・組織、東京営業所の開設/ 1959年:本社工場用地取得、人材の採用、品種別組織の採用、FM無線機の事業化、販売会社の設立/ 1960年:横浜綱島に本社工場移転、労組新支部と新従業員組織の発足、電子学校の開設、録音機事業を移管/ 1961年:事業部制の導入、電話機器分野に進出/ 1962年:3事業部制から6事業部制へ、FM放送装置の開発/ 1963年:増設工事の実施、大幅増資の実施、マイクロホンの量産化/ 1964年:電子計算機事業からの撤退、東京オリンピックへの機器納入、佐江戸地区の用地取得、綱島地区第3期工事竣工/ 1965年:販売網の整備、完全週休2日制の実施、スローガン決定/ 1966年:田中新社長の就任、テレビカメラを事業化/ 1967年:郵政省への機器納入、佐江戸地区への移転/ 1968年:株式を上場、ミニコンピュータの開発、ポケットベルの開発、自動車電話の開発/ 1969年:事業部の再編・統合、事業本部制の導入/1970年:松下正治会長の就任、交通管制システムの開発、衛星搭載機器の開発/ 1971年:集積回路工場竣工、視聴覚機器事業部を佐江戸北地区へ、鉄道自動案内放送システムの開発/ 1972年:担当専務制の導入、海外に自動車電話を輸出/ 1973年:ミニコンで富士通と連携、自動放送システムの開発、カーラジオ生産1千万台を達成/ 1974年:福島県白河に工場展開、長野県松本に工場展開/ 1975年:タクシー自動配車システムの開発、POSシステムへの参入/
第2部:業界のリーダに
1976年:小蒲新社長の就任、800MHz帯自動車電話を商用化/ 1977年:小蒲社長の運営方針、カーコンポ時代の到来/ 1978年:デジタルビデオプロセッサの開発、カーステレオが北米で好評/ 1979年:ソフト会社の設立、工事会社の設立、プロ用サウンドRAMSAブランド誕生、カーラジオ生産2千万台を達成/ 1980年:研究開発体制の強化、カーエレクトロニクス時代へ/ 1981年:ビデオカメラ事業部を新設、岩手県花巻市に進出/ 1982年:アストロビジョンの開発、MCA無線システムの開発、パソコン事業での挫折/ 1983年:創立25周年での思い、組合要求でスポーツセンター竣工、光通信LANの開発、アメリカ松下通信の創業、情報システム事業部、メモリー装置事業部の新設/ 1984年:超波診断装置をシーメンスへ、集荷情報処理システムの開発/ 1985年:アメリカ松下通信の子会社化、ドイツ松下通信の設立、技術研究棟を佐江戸地区に、ショルダーホンの開発/ 1986年:石澤新社長の就任、石澤体制の役員陣容/ 1987年:Nシステムの開発、アメリカ松下通信、シカゴからアトランタへ、フィリピン松下通信の設立/ 1988年:イギリス松下通信の設立、松下通信仙台研究所の設立、電波事業部樽町工場の展開/
第3部:モバイル日本一へ
1989年:松田新社長の就任、松田体制の役員陣容、松下通信金沢研究所の設立/ 1990年:経営ビジョン「10年構想」を策定、事業本部制を再導入/ 1991年:携帯電話「ムーバーP」快進撃開始、松下通信静岡研究所の設立、静岡工場を竣工/ 1992年:テレコム研究所、AV&C研究所を設立、北京松下通信を設立、YRPへの参画を開始、カーナビゲーションの開発/ 1993年:川田新社長の就任、川田体制の役員陣容、米国エミー賞3年連続受賞、パーソナルコミュニケーション事業部を新設、ビジネスワープロ事業の移管/ 1994年:米国マグドナルド向けPOSシステム好評、カーエレクトロニクス事業部、カーシステム事業部の新設/ 1995年:YRP移動通信基盤技術研究所設立を主導、メキシコ松下通信、大連松下通信を設立、PHSサービスの開始に貢献、蘇州松下通信を設立、カーオーディオ、生産累計1億台を達成/ 1996年:YRPへの単独進出を決定、コミュニケーションシステム事業部を新設、放送システム事業部を新設/ 1997年:ITS事業開発センターを新設、発展2000年計画を策定、ITS評価実験施設を竣工/ 1998年:創立40周年を挙行、国内携帯電話が高い評価、松下通信YRP研究所を竣工、全工場が環境認証を取得、西暦2000年問題への対応/ 1999年:ETCシステムでトップに、W-CDMA端末・基地局メーカーに指定、英国シンビアン社に出資、SDカードの導入検討を開始、放送システム事業の移管/ 2000年:ソフト開発体制の強化、初の海外IR活動の実施、W-CDMA基地局装置を初出荷/ 2001年:海外での移動体開発体制の強化、欧州携帯電話事業の再編、グローバル1兆円を達成、桂新社長の就任、桂体制の役員陣容、カンパニー制の導入、携帯電話プラットフォーム開発の強化、NECとW-CDMA端末で提携、W-CDMA端末を初出荷、佐江戸新研究棟の竣工/ 2002年:630名の早期退職、初めての赤字決算、松下電器の完全子会社化へ/ 2003年:松下通信の消滅/
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